散文詩

 公園の中央には、カツラの木が生えている。根を広くはって、その根を長く引き延ばして何本も束ねたような、たくましい幹。有機的な曲線を描いた、左右対称の枝ぶり。緑色をした、たくさんの小さな丸い葉は、春の日にきらきらと輝いている。風が吹くと、ゆれる、ゆれる。

 あるとき、悲しみにうち沈んで、わたしは考えた。この木が友達だったらどんなにいいだろうかと。すると、突風が吹いて、木々がざわめいた。雲はちぎれ飛び、池は波うち、太陽の光がきらめいた。そのとき、わかったのだ。わたしたちはもうずっと昔からすでに友達だったのだと。木々だけではない、風、雲、水、光、すべてがそう告げていた。それらはみんな生きて、一様にゆれていた。ただ、人間が鈍感なあまり、彼らがわたしたちとなにも変わらないということが、わからないだけなのだ。

 強く、賢く、美しい木。それ以来、わたしたちは友達になった。



 雲が流れていく。白く、やわらかく、形を変えながら。優雅に、ゆったり、のんびりと。あんぐり口をあけて、わたしは問うた。

 雲よ、雲、きみはいったい生きているのか、死んでいるのか、と。

 すぐに崩れてしまう舌で雲がなんと答えたのか、声は聞こえなかった。だが、わたしにはわかった。雲は大気の一部で、川の一部で、海の一部なのだ。わたしたちが血と肉のみならず、また水や空気からもできているように。雲は雨で、雨は植物で、植物は空気で、空気はわたしたちで、わたしたちはこの星だ。なにひとつとしてそれそのものでは成立しない。もし、わたしたちが生きていると主張するなら、雲や空や宇宙もまた生きているのだ。

 雲は、きっとそう答えたに違いない。



 ひらり、と蝶が舞いおりてきた。葉にしがみついている。まだらの羽に、黒と黄の胴体。葉から葉へ、不器用に飛びうつる。ふらふら、よたよたと。見れば、片方の羽が傷ついている。むしりとられ、半分ほどない。

 せっかく美しく生まれてきたというのに。羽虫などかなわないほど美しく生まれてきたというのに、羽をもがれては満足に飛ぶこともかなわない。

 葉から葉へかろうじて飛びうつり、やがて小さな流れへおりていった。水が飲みたかったのだ。そう気づいたときには、流れに飲みこまれていた。



同一性障害

 魂があって、たまたま、間違った肉体に、脳に、宿ってしまう。すると、その違和感が嫌で嫌でたまらない。わたしは男だ、あるいは女だ、いやそのどちらでもない、などなど、と思う。

 さてわたしはこう思う。木霊とか、精霊とか、宇宙人とか、そうだったはずのものが、こんなつまらない器に間違って宿ってしまったのだと。

 それで、早くもとに戻りたいと願わずにいられない。
 
 
 

厭世のうた

 風にのって流れる音になりたい
 その音符のひとつになりたい
 吹きわたる風になりたい
 青空に浮かぶ雲になりたい
 陽光、その光になりたい
 岩に、木に、花になりたい

 人間でなくなりたい
 この世のものでなくなりたい
 
 
 

牢獄

 階層的な牢獄は以下の順である。

 脳髄、あるいは肉体としての牢獄。わたしがわたしであること。

 この部屋。四角く囲まれた空間としての牢獄。

 家族、社会、国家としての牢獄。選択の余地なしにはめこまれたもの。

 時代。時間としての牢獄。

 地球、そして宇宙。物質世界という牢獄。

 ただし、観念論ではこの順は逆になる。すなわち、意識こそ最初で最後の究極的な牢獄である。すべての副次的な牢獄はそのなかにこそある。意識、わたしがわたしであること。
 
 
 

宇宙人

 誘拐、洗脳、人体実験、ありとあらゆる嫌がらせをこっそりやったあげく、ついに宇宙人が姿をあらわした。あの有名な宇宙船、その隊列を空中に並べてみせたのだ。このたびは逃げも隠れもしなかった。宇宙人の存在を信じていた人たちは興奮し、また勝ち誇った。そうでない人たちはただ単に恐れた。各国政府は混乱し、大急ぎで空中戦の防備を固めた。宇宙人は通信をのっとると、テレビ、ラジオ、インターネット、あげくのはてにはミステリーサークルに描いた文字まで使って、こう宣言した。

「いろいろ調査した結果、この星を巨大な養殖場にすることに決定した。われらは美食家だ。この点、もっとも美味なのは人肉をおいてほかにはない。ついては、地球で人間を養殖し、われらの食用に供することにする。われわれは公正を重んじる。それゆえ、一応、知らせておく」

 これを知った人々は狂乱におちいった。誰も家畜のように死にたくなどなかった。滅多に家から出なくなり、誰も彼もが引きこもりみたいになった。そのほうがまだしも安全に思われたのだ。各国政府、人権団体、そのほか多くの組織がこの人間の養殖および人肉の供給という話に異議を申し立てた。というか、命ごいした。宇宙人の科学技術力はすさまじく、おもちゃみたいなミサイルやなにやでは歯もたたないことがはじめから予測されたからだ。なかには、一般人を犠牲にするかわりに、権力者や金持ちだけなんとか例外的扱いを受けようという動きも、もちろんあった。

 宇宙人の返答はこうだった。

「われわれは公正を重んじる。地球人を見習って、われらも同じようにしようではないか。地球人はその強みを生かして、自分より劣った生き物、弱い生き物に情けをかけなかった。養殖し、無理矢理つがわせ、屠殺し、虐待に虐待を重ねてきた。立場が変わった途端、これに反対するのだろうか。まったく同じことをされても、文句は言えないはずだ」

 こうして地球は巨大な養殖場になった。 
 
 

悪魔

 あるとき、勝手知った街を歩いていて、見知らぬ路地に迷いこんだことがある。おや、おかしいなと思いながらも進んでいくと、路地はどんどん奥へ入っていく。すぐにも反対側の通りに出そうなものだが、そうではない。異次元にでも足を踏みいれたかのように、進めば進むほど、狭い路地はかえって広さを増していくようなのだ。

 やがて、ある商店の前に出た。ちょうどのどが渇いていたので、なにか飲み物でも買おうと、立ち寄ることにした。店内は、一目で悪魔とわかる連中でごったがえしていた。道に迷って、麻痺でもしていたのだろうか。奇妙なことに、恐ろしいとは感じなかった。

 ブーンとうなりを立てる冷蔵庫からよく冷えたペットボトルを取りだすと、レジにいる悪魔のところへ持っていった。すると、悪魔は無邪気に喜んだ。

「いらっしゃいませ! どうぞ、飲み終わったペットボトルは店の外に置いておいてくださいね」

「ゴミを集めて、再利用でもしているんですか?」

 悪魔は仰天した。

「とんでもない! 使い捨てのものとか、ゴミをたくさんたくさんばらまいて捨てれば、この世界を滅ぼせるでしょ。海は汚れるし、誰も生きていけなくなる。燃やしたところで同じ結果ですからね。いまどきの悪魔は地道な努力しかしないんです」

 なるほど、よく考えたものだ、とわたしは感心した。

「すると、ほかにもなにか意味があるのかな、このお店の品物には?」

 よく見ると、いやに食肉を多く置いてある店だった。白い食品トレーに盛られた、鶏肉だの豚肉だの牛肉だのが棚一面に並んでいる。悪魔はごく無邪気に笑った。

「ご名答! ご覧のとおり、食肉が多いでしょ。いまから、血に鈍感にしておくんです。自分とは違う生き物を殺しても、なんとも思わないようにね。そしたら、よそ者を殺すまで、あともう一歩でしょ。差別に、戦争! 心のどこか深いところで、自分とは違う生き物の生命を尊重しなくなるように、こうしているんです」

 なるほど、まったく理にかなっている、とわたしは感心した。

「しかし、地味な、涙ぐましい努力ですねえ。てっきり悪魔とは、もっと派手なものかと思っていましたが」

「ところがね、このほうが効率的だってことになったんです。ひとりやふたりじゃない、この星まるごと堕落させて滅ぼすとなればね。コツはね、自分さえよければいいっていう感覚を育むことですよ。楽がしたい、いい思いがしたい、そのためには、自分以外のことなんてどうでもいい、という感覚。ゴミも、食肉も、そういうことです。まあ見ててごらんなさいよ、もう百年か二百年もしたら、いったいどうなっているか……」

 悪魔の大好きなお金を支払って、店を出ると、わたしはペットボトルを飲み干した。そうして、悪魔に言われたとおり、近くのゴミ置き場に捨てておいた。ゴミ置き場はあふれんばかりで、悪魔の勤勉ぶりがうかがわれた。それから少し歩くと、いつの間にか、よく知った大きな通りに出ていた。たったいまどの路地から出てきたのか、もうわからなかった。それきり、二度とあの路地に迷いこむことはない。
 
 

粗末な代用品

 昔、洞窟に老人が住んでいた。
 
 彼は若いころ思い悩んだあまり村を出て森にはいり、嘆いたり愚痴ったり怒ったりしていたが、そのうち死のうと思った。そうしてこの洞窟を見つけると、餓死することに決め、なかにもぐりこんだ。飢えと渇きに耐えるのはつらかったが、死のおとずれを待つうち、彼の心は自然と静かになった。こうして、じっと座ったまま彼は静かにしていた。そのうち、死ぬのはやめようという気になった。それで、洞窟をでて野生の木の実を見つけると、それを食べた。そうしてまた洞窟へ戻り、座りこんだ。心が静かになったので、もうしばらくそうしていようと思ったのだ。うす暗いなかに座りこんでいればいるほど、彼の心はどんどん静かになり、思い悩んでいたいろいろがすべてどうでもよくなった。それは、波立っていた水面が、まっさらの鏡になったようだった。心が静かになると、驚いたことに、次には幸福感や愛情で満たされるのを感じた。なにかがほしいと思っていたが、もうそれは必要なかった。誰かに愛されたいと思っていたが、もうそれは必要なかった。すべて必要なものは心のなかにあった。それはかつてない体験だった。この静かな心がとても快適だったので、彼は村には戻らず、洞窟で暮らしはじめいつしか老人になった。

 あるとき、村人たちがこの老人の存在を知った。もの珍しさに人々がやってきたが、老人が幸福そうにほほえんでいるのを見て、うらやましく思った。老人はぼろを着てただ座りこんでいるばかりでなにも持っていなかったが、村人たちの目には見えないなにかを心のなかに持っているようだった。人々は老人の持っているものをほしいと思ったが、かといって洞窟に住んだり粗末なものを食べたりするのは嫌だった。自分たちの住み慣れたあばら屋が恋しかったし、家族や、畑や家畜が恋しかった。それで、代用品ですますことにした。ビルを建て、銀行をつくった。自動車をのりまわし、騒音をかけた。哲学をひねりだし、神を信じた。どれほどのことをしても老人の心境にたっすることはできなかったが、この粗末な代用品は文明と呼ばれている。
 
 
 

ゾンビ

 最新の生物兵器でもばらまかれたのだろうか。それともこれは疫病、伝染病だろうか。それとも魔術的な呪いのたぐいだろうか。いつの間にか、自分がゾンビになっていることに気がついた。

 肉体は崩れ、腐臭がただよっている。眼球がこぼれ落ち、ものがゆがんで見える。脳は溶けているようで、うまく考えられない。いったい、いままで、なんのために、なにをしてきたんだっけ?

 まあいいや、と思い、わたしは服を着替えて街に出た。食料品が足りていなかったし、トイレットペーパーもなく、預金を引きだして、ついでに仕事の連絡をしなければいけなかった。

 街はゾンビであふれていた。みんなわたしと似たりよったりで、当てもなくうろうろとさまよっている。いったいどうしたらいいのか、わからないのだ。ゾンビとは、なにを目的に、なにをするものなのか? あるゾンビは、夢中になってショーウィンドーにすがりついている。なかのものが気になって仕方がないらしい。あるゾンビは、街の高いところにすえられたテレビをぼうっと眺めている。画面のなかでは、ただ、別のゾンビがぼうっとしているだけだ。あるゾンビは、もう動いていない電車に乗ろうと必死になっている。その様子から察するに、会社へ行こうとしているらしい。わたしは当初の目的も忘れてしまって、ぼんやりと街の様子を眺めていた。

 ふと、ぼやけた頭にひらめいた。わたしたちは、みんな、はじめから死んでいたのではなかったか? ほんの一瞬たりとも、本当に生きたことなどなかったのではないか? ゾンビはゾンビなりに、生きていると思いこんでいただけではないのか?

 どうでもいいや、とすぐに思った。そうして、食料品のこと、トイレットペーパーのこと、預金のこと、こういったもろもろを思いだした。お金を稼いで、生活をしなければ、とわたしは思った。ほかのゾンビたちもみんな口々に、生活、生活、死にたくない、生きる、生きる、とうめいていた。
 
 
 

神学論争

 次のような神学論争が、かつてあったと記録されている。

神学者A いいかね、自然と現実をつぶさに観察しなければならない。なぜなら、そのなかにこそ神が顕現しているからだ。さて、自然界を見るとき、倫理の欠片もないことに驚嘆する。自然界には、善なく、正義なく、公正ない。善を実現する植物とか、正義の動物とか、公正に起こる自然災害とか、そんなものは聞いたことがない。善や正義や公正といったよい観念は、人間の頭のなかにしかない。思うに、宇宙は善でもなく、また悪でもなく、ただ混沌なのだ。これを支配しているのは物理法則のみで、倫理の法はここにはない。ゆえに、わたしはこう信じる。神は倫理的に無能であるか、あるいは無関心である、と。ちょうど神の写し身たるわれわれもまたそうであるように。無能な神万歳! 無関心な神万歳! これこそわたしの信仰だ。

神学者B 愚にもつかぬたわごとを! おぬしのいう自然界とやらを、その曇ったまなこでさらによくよくと観察してみるがいい。虫たちは互いに喰らいあい、動物たちもまた互いに喰らいあい、われら人間にいたっては植物から動物から同族たる人間までありとあらゆるものを殺し尽くさねば気がすまない。この連鎖は細菌や微生物の世界まで同様だ。殺戮の連鎖は決して止まらない、やめたいと思ったところでやめられない、さもなければ自分自身を殺すかだ。もっとも心優しい菜食主義者でさえ、植物を殺さずには生きられない。なにも傷つけたくなければ、みずから死ぬよりほかにない。われらが神は、殺しあい、喰らいあわなければ成立も持続もしない世界をつくった。ゆえに、わたしはこう信じる。神は残虐である、と。ちょうどわれわれもまた、登場人物が殺しあったり苦しむような作品を平気な顔で創造するように。残虐な神万歳! これこそわたしの信仰だ。

神学者C し、しかし、そのような神などいないほうがよほどいい、あるいは、まるで信仰に値しないのでは?

神学者A 冒涜だ!

神学者B 冒涜だ!
 
 
 

スフィンクス

 砂漠を旅する男の前に、スフィンクスが立ちはだかった。

「謎かけに答えることができればここを通してやろう。さもなければ喰い殺す」

 男は震えあがった。まさかこの伝説のけだものに出くわしてしまうとは夢にも思わなかった。噂では、このけだものは永遠ともいえる存在があまりに退屈なので、不運な人間を相手に謎かけをしては暇つぶしをしているのだという。そんなつまらないことの餌食になろうとは。

 その巨体からは俊敏さと獰猛さがうかがい知れる。背を向ければ、背後から打ち倒され噛み砕かれるだろう。逃げるなど論外だった。

 男の沈黙を同意と解釈し、スフィンクスは続けた。

「では問う。賢さがご自慢の人間だが、この賢いという言葉はなにを意味しているのか。賢さの中身とはなにか。この問いに答えられたら見逃してやろう」

 賢さの中身。賢いという言葉の意味。これは難問だった。それは科学的な知識だろうか? 数学的な能力だろうか? 哲学的な考察力だろうか? 記憶力だろうか? 世渡りがうまいということだろうか? あるいはそれらの総合だろうか?

 男は考えこんでしまった。答えられないのを見て、スフィンクスは咆哮した。

「わからないというのか? 賢い、賢い、あの人は頭がいい、あいつは成績がいい、あいつはすごい、そんなことを常日頃から言っていながら、それでいてその言葉の意味さえもわからないというのか?」

 男は縮みあがった。だが、まだ喰われはしなかった。スフィンクスは親切にも男の手助けをして問い直した。

「よく考えてみるがいい。それは、金儲けをすることか? うまく他人を出し抜いて、権力を手にしたり、社会的に成功したりすることか? だがこの結果、同族のなかに階級や差別が生まれ、分断や闘争につながるのではないか? 互いに競争したり争ったりすること、これが賢さか?」

「ち、違う、と思います」

「では、技術を駆使することか? ありとあらゆる機械、ありとあらゆるおもちゃを開発して、快適さを追求する。だが猿でさえ、そんなものなしで問題なくやっているのではないか? それらは本当に必要なものなのか? むしろその結果、自然界の秩序をみだしたり、惑星をつぶしてしまいそうになっているのではないか? これが賢さか?」

「ち、違う、と思います」

「では、知識を積み重ねることか? 新しい単語、新しい概念を次から次へと生みだし、実感、実体験としてはなにもわかっていないながら、常になにかしらの理論をもてあそんでいることか? 際限もなく次から次へと出てくる知識の完成はどこにある? いくらそんなものを積み重ねたところで、人間性や生物的な限界は依然そのままなのではないか? とすれば、そもそもなにを目指して知識を収集しているのだ? これが賢さか?」

「ち、違う、ような……」

「ではなんだ? 賢さとはなんだ? 賢さとは、人間お得意の、中身のない、空疎な言葉に過ぎないのか? 答えよ!」

 男は答えられなかった。それで、スフィンクスは容赦なくこれを喰い殺した。
 


古代人

 科学技術が神の領域に到達したので、死者の蘇生が可能になった。

 科学者たちは考えた。さて、誰を復活させよう?

 歴史のこの時点では、人間の数があまりに多すぎた。これまでに、寿命の延長、病の根絶、などなどの科学的奇跡が実現されてきた結果だった。

 それで、すぐさまに一致した見解は、凡庸な人間を復活させても仕方がない、ということだった。では誰がいいか?

 とにかく、役に立つ人材を選ぼうということに話がまとまった。このあたりは科学者の発想だった。こうして、過去の発明的偉人が選ばれることになった。

 科学者たちは、データベースを持っていた。これは巨大なもので、これまでに存在したすべての生命の遺伝子情報が登録されている。人間はもとより、どこかそこらを飛んでいた蚊から、郊外に自生していた雑草までだ。その気になれば、歴史上のある時点の地球上の生命すべてをいまここに再現することも可能だった。

 このなかには、科学技術が発達する以前の情報まで含まれていた。それは、いろいろな条件をもとにさかのぼって遺伝子情報を再現する技術のためだった。だから、厳密には古代人の遺伝子そのものではないけれども、それに限りなく近いものが再現できるのだった。

 科学者たちは検索をかけ、古代の、名もなき偉人たちを選別した。はじめて文字を考案した古代人、同様に数字の考案者、車輪を発明した古代人、いにしえの昔にはじめて火を実用化した古代人…… 先人の業績を足がかりにすることができた近代の科学者などより、彼らこそ独創的な精神の持ち主に違いないと考えたのだ。

 遺伝子情報がバイオ3Dプリンターに送られ、次々と生命を創造した。すでにある(と考えられる)遺伝子がもとなので、創造というよりこれは死者の蘇生だった。しかも、はじめから成人の状態でだ。

 復活した古代人たちはみんな目をぱちくりしていた。見知らぬ白っぽい部屋に、頭でっかちの科学者たち。成人で生まれたアダムもかくやといったところだ。

 科学者たちにとって、死者の蘇生はこれがはじめてだった。それで、古代人たちがどんな反応をするのか、興味津々だった。狂乱するだろうか? しょせんは野蛮人にすぎないのだろうか? 万一に備えて殺処分の準備もすでに整っていた。

 双方にとって幸運だったことには、古代人たちは高い理性と理解力を示した。彼らはまず、この環境での生活を受けいれた。それから、この時代の言語を学習しはじめた。これにはしばらく時間がかかったが、赤子が数年かかるのに対し、成人の彼らはものの数カ月でこれをおぼえた。

 あらかた言葉をおぼえてしまうと、彼らは知的好奇心にあふれ、いろいろなことを知りたがった。この時代の社会状況、学問、技術…… 科学者たちは協力を惜しまなかった。なぜなら、これこそ彼らのそもそもの目的だったからだ。なにかしらの分野で、古代人たちに役立ってもらう。そのためには、現状の理解と把握は欠かせなかった。

 さて、古代人たちがもっとも関心を持ち、また驚愕したのは、次のような事実だった。

 この時代には、独占がある。かつて、すべては共有されていた。狩猟採集の成果のみならず、知識や情報や技術は誰のものでもなかった。それが、いまは違う。それは知的所有権と呼ばれ、はじめになにかを思いついた人間、そしてそれを宣言した人間、この人間だけが得られる特権がある……

 高い知性を持つ古代人たちは、すぐに理解した。歴史のどこかの時点で、誰かがルールをねじまげたのだ。自分にとって都合よくなるように。それは法律と呼ばれていた。

 古代人たちは考えた。なぜ、この時代の、あるいは近代の知的所有権のみが有効なのだ? 自分たちを蘇生した遺伝子技術のように、さかのぼって適応されてもいいのではないか? そのとき、古代人たちは巨億を支配するだろう。なぜなら、技術や知識のそもそもの基盤をつくったのは彼ら自身にほかならないからだ。文字の考案、数字の考案、車輪の発明、火の実用化、などなど、はるか古代においてすべて彼らが成し遂げてきたことだった。この時代の人間たちは、そのうえに安座して、知的所有権などとのたまっている…… 知的所有権の知的所有権を宣言し請求せねばなるまい。

 古代人たちはすでに市民登録されていた。科学者たちのモルモットでもホムンクルスでもなく、この時代の人間として人権も保証されていた。彼らが古代の知的所有権を主張し宣言したとき、法律ははじめて既得権益を裏切った。独占者にとって有利になるように、さかのぼっての知的所有権は有効だったのだ。

 かくして古代人たちは文字や数字や車輪や火をつかうすべての産業から権利使用料をせしめ、なかには破産するものまであらわれた。この時代の役に立つどころか、かえって巨大な足枷になったようなものだった。だが彼らは単にこの時代から学んだにすぎない。

 科学者たちは多くの人間から恨まれたが、彼らもまた犠牲者だった。古代人たちへの支払いから無縁ではいられなかったからだ。こうして、科学者たちは解散を余儀なくされ、研究所は閉鎖、もう二度とこのようなことの起こらぬよう、蘇生技術は厳重に封印された。

 あとに残った古代人たちは、すっかりこの時代になじんでしまい、寿命を延長しては、際限なく知的所有権を独占し続けた。
 
 
 

 ある地方の、ある田舎に、こういう話が伝わっている。

 丘のうえに巨岩がたったひとつだけ転がっている。この岩の起源は誰も知らない。噴火で飛んできたのだともいうが、なにしろ付近に山などないのだ。似た岩もほかにはなく、ここらで岩といえばこれひとつがあるきりだった。

 問題は、この岩が生きているというのだ。古い記録には、この岩は人面をして見えると書いてある。その表情は、かすかにほほえんでいるかのようだとある。これは千年も昔の記録だ。ところが現代では、この岩は人面にこそ見えるが、とてもほほえんでいるようではない。むしろ、悲しげに見える。

 これはどうしたことだろうか。昔の記録など当てになるものではない、という人がある。あるいは、岩がどう見えるかなど主観の問題なのだから、見る人によって印象が違うのだともいう。あるいは、千年のうちに風雨に浸食され、表面の形状が変わったのだともいう。ところが、この地方ではこれこそこの岩が生きているあかしにほかならないというのだ。千年のあいだに、表情を変えたのだと。微笑から悲嘆に変わったのは、自然界の行く末を案じてのことかもしれない。

 この伝承はそれなりに有名で、地質学だの鉱物学だのの学会に知られてはいた。ただ、誰も真剣には受けとっていなかったし、ましてや調査隊を派遣しての研究など論外だった。岩は無機物で、細胞も遺伝子もなにもない。そんなものが生きているわけもない。自明の理だった。

 さて、この地方の人たちにとって幸運だったことには、あるとき、ほんの偶然に、旅行者がおとずれた。ほかの土地へ向かっていたのだが、自動車が故障し、予期せぬ滞在を余儀なくされたのだ。この旅行者が鉱物の専門家だった。彼はもちろん岩を調べにきたわけではなかった。が、ほんの世間話から、彼の職業のうわさがぱっと広まった。土地の熱心な人たち、これはほとんどが老人だが、ひとつしかない旅館に押しかけると、拝まんばかりにして岩の調査を頼みこんだ。ぜひとも真相を知りたい、いや、確かにこの伝承が真実だということを明らかにしたい。そういって頼みこんだ。災難のあとでくつろいでいた専門家は迷惑な顔をした。かといってむげにも断りかねた。それで、研究設備だってないのだし、本格的な調査はできませんよ、簡単にちょっと見るだけですよ、と断りをいれて承諾した。老人たちは喜び勇んで、専門家の手を引かんばかりにしてぞろぞろと連れだって出発した。

 なにしろ田舎のことだから、この非公式調査のうわさはすぐに広まり、岩の伝承にあまり熱心でなかった人たちまで興味本位で丘のうえに集まった。平素は観光客すら寄りつかない岩は、かつてない賑わいをみせた。

 見物人の多いのをやりにくそうにしながら、専門家は岩を眺めた。確かに、人面をしている。それも、悲しげに見える。頭部だけとはいえ、悲嘆にくれる巨人といったところだろうか。こういった印象はさておき、手でさわったり、軽く叩いたりして、彼は岩を調べた。この、まわりに山も岩もない土地にあって、確かに巨岩の来歴は不思議だった。本格的な研究に値するかもしれない。だが、土地の人たちが期待しているようなことの真偽など、彼にわかるはずもなかった。いや、彼の学者としての常識からすれば、岩は確かに無生物であるはずだった。そうでなければならなかった。しかし、この人物は、しばらく考えこんだのち、こう結論した。

 わたしには、しかとしたことはいえません。と、まず彼は断った。しかし、と続け、これはわたしの個人的な感想ですが、動きの遅すぎるものは人間には認識できないのではないでしょうか?

 言葉の真意がつかめず、土地の人たちはざわついた。専門家は続けた。

 仮に、この岩が千年かけてゆっくりと表情を変えたとします。それは、光の速度の反対、一年にミリ未満という単位です。十歳のときに岩を見た人が、百歳まで生きて岩を見たとしても、まるで違いに気がつかない。すると、人間の寿命より動きの遅いものは、個人には認識できないということになる。いや、記録というものがあるではないか、写真というものがあるではないか、確かにそうですが、千年前の話を、いったい誰が信じるのか? いま仮に、この岩がなんミリなんキロと綿密な記録をしたところで、千年後の人はこういうかもしれない。千年前の記録など当てにならないと。現に、いま千年前の記録を疑っている人もあるわけでしょう。あるいは、地球環境が千年のうちにほんのわずかでも変化するかもしれない。すると、たとえ計測した機器の精度が同じでも、いまの記録と千年後の記録とでは食い違いが生じてきかねない。そのとき、それがそういった誤差によるのか、本当に計測値が変化したのか、誰にもわからない。結局、これはわたしからの問いなのですが、たとえば百年かけていちミリ動く岩の表情を、誰が確認できるというのでしょう?

 こういった議論を、詭弁だという向きもある。この専門家は、土地の人たちの不興を買うのをおそれ、都合のいい屁理屈をもてあそんだのだと。ことの真偽はともかく、土地の人たちは納得した。鈍重な岩の動きが遅いのは理にかなっている、と思ったのだ。岩は、百年に一度の速度で鼓動しているかもしれず、千年に一度の速度で呼吸しているかもしれない。それは人間には認識できない動きだ。そのとき、無機であるか有機であるか、細胞があるか遺伝子があるか、そのようなことは問題ではないだろう。地球や宇宙だって生きているかもしれないのだ。
 


にせもの

 昔、こういうことがあった。ある小さな村に、ある男がいて、酒屋を営んでいた。その村には酒屋はこれ一軒きりだった。

 さてあるとき男は考えた。少しばかりうすめたってわかりはしまい。そうして、大きな酒がめにほんのひしゃく一杯分かそこら、水でうすめて売りはじめた。もちろん、値段はそのままだ。だから、この男はいくらか利益を増したことになる。

 客はなにも気づかなかった。かえって、最近は酒がうまくなったんじゃないかい? などと言うものもいたほどだった。それで男は味をしめた。さらに一杯、さらに一杯と、何年もの間隔をおいてじつに周到に少しずつ少しずつ酒をうすめていった。なんにもない村だったが、水だけは潤沢にあったのだ。客の舌は数年ごとの微妙な変化をとらえきれず、相変わらずこの酒に満足していた。男はまことに用心深く時間をかけてこの作業をやったので、いつしか酒屋の代もかわり、いまでは息子が、さらにその息子が、同じことを続けていた。

 酒屋は繁盛し、村の外にまで店舗を拡大していった。うすい酒が、かえって当たったのだ。やがて、いまではもう何代かもわからないほど代をへた経営者が、事業の拡大をはじめた。酒だけでなく、食品産業にまで手を広げたのだ。研究施設に研究員をそろえ、酒を水でうすめるのに変わる、新しい方法を模索した。こうして、甘味料や着色料、そのほかありとあらゆるものが開発された。これらをうまく使ってごまかせば、誰も気づかないどころか、かえってうまいうまいとよく売れるのだ。しかも、混ぜものをすればするほど利益は浮いた。

 もと酒屋はいまや業界一の大企業に成長し、ありとあらゆる飲食物を国内に供給していた。人々は相変わらず喜んでこの企業の酒を飲んでいたが、それははじめの酒と比べるとまったくの偽物で、ほとんど水だった。肉も、魚も、穀物も、本来のものはもうどこにもなかった。すべてはなにかしらが加味された、偽物だった。化学肥料に人工の餌、生産段階からそうなのだ。これではきちんとした同業者には太刀打ちできまい、と思いきや、そうでもなかった。というのは、ほかの企業もみんなこの大企業を見習って同じ手法で儲けようとしたからだ。なにより、はじめの酒屋から時代はずっとくだって、この時代の人々はもう本物を味わったことがなかった。子供のころから偽物だけを飲み食いしていた。それは酒屋の子孫や大企業の人間さえそうだったのだ。だから、この時代においては、偽物だけが評価の基準だった。

 さて、あるとき、新進気鋭の企業が立ちあがった。この企業はどこか遠くの原住民から本物の食材を仕入れ、まったく混じりけのない最高級の食品を売りはじめた。それらは色も形もぱっとしなかったが、本来そうあるべき姿のはずだった。新しいもの好きの人々は、本物の食品という文句につられてとりあえず試してみた。新進企業の店先には行列ができるほどだった。ところが、いざ食品を口にしてみると、誰も彼もがすぐさまこう叫んだ。こんなまずいものは食べたことがない、見た目も悪いし、偽物じゃないか! と。

 人々の目も、舌も、すでに偽物が標準になっていた。その標準からはずれるものはまるで受けつけなかった。生まれたときからずっと偽物のみに触れてきたのだ。その常識感覚からすると、人工的なうまみのない味は異常でまずかった。色は鮮やかなのが普通、味わったときに舌がぴりぴりするのも普通だった。それらがないと物足りなく、いかにも偽物をつかまされたという気がした。新進気鋭の企業は詐欺と見なされ、代表者は偽物を販売したかどで告訴された。告訴したのは業界を牛耳る最大手だった。あの、もと酒屋だ。

 法廷では、被告の提出した証拠や抗弁もすべて無力だった。裁判官も、陪審員も、弁護士まで、正否を判断する基準が逆転していた。経済も、法律も、もと酒屋がずっとそうしてきたような思考法や価値観が基準になっていたからだ。偽物をつくる人間に、偽物を喜ぶ人間。偽物の秩序に、偽物の法律。偽物こそが正しい。それが常識だった。彼らの目には、酒屋の子孫が真人間に、被告が詐欺師に見えた。彼らの耳には、酒屋の子孫が正直に、被告が嘘つきに聞こえた。それで、被告は刑を受け、この企業はすぐにつぶれてしまった。

 かくして、長い長い年月をかけて、本物と偽物はすっかりいれかわった。いまでは、本物が偽物で、偽物が本物だということになっている。